Interview
インタビュー
困った人を助け、
困った人を生み出さず、
世界中のデータトラブルを解決します。
Interview with the CEO
犯罪に関わるデータ解析、企業、国政に関するデータ損失・流出事件の解決から、個人のスマホデータ損失まで。
データに関するあらゆる「困った」を解決する企業として、業界トップの地位を誇る
DDS=DIGITAL DATA SOLUTION 。 

負債16億の倒産企業を10年で業界トップにまで業績を回復させた、代表熊谷聖司とはどんな人物なのか。
そしてどんな想いを抱き、ますます広がりゆくデジタル社会をどう見据えているのか。ロングインタビューを実施しました。 

インタビュー 2024年6月 インタビュアー あそゆか 
Q:そもそも熊谷社長は今に至るまで、どんな道を辿って大人になったのですか?
大企業に勤めるサラリーマンの父と、パートで働く母、ごく普通の家庭で育ちました。 
勉強しろとか、大学に行けとか、両親に何かを言われたことはまったくありません。とにかく自由。

やりたいことをやりたいようにやりたいだけ。そんな環境が当たり前の中で育ったので、大人になるまで
勉強をしたことはありません。笑 

中学と高校は野球中心の生活。
高校の野球部では、本気で取り組むことがどういうことかを、監督が教えてくれました。
やると決めたことをやり抜くまでやる、それを教えてくれたことが、今の私の原点の一つです。

元々は土木関係の仕事に就きたくて就職しましたが、配属は本社の設計担当。
オートキャドのソフトを使って、毎日設計の仕事をしていました。
現場に出て土方をしたかった自分としては、仕事に面白みを感じられず、2年ほど働いて退職。 

そこからはフリーターをしながら、大好きなサーフィン三昧の日々。
日本各地でサーフィンをしたいがためにバイトで売り上げ一位になるくらい稼いでました。
サーフィンのために海外に行ったことも。

英語?もちろん、話せない。でも、なんとかなるし、なった。笑 
身一つで語り尽くせないくらいの体験をしたのが、この時です。 

勉強なんてしなかったからこそ、自分の足で世界を広げ、体験したこと、実践から体で学びました。

だから今でも感覚で生きている部分が大きい。言葉で伝えるよりも、感覚で感じて、イメージが脳内に鮮明に浮かび上がる。
いろんな世界を見てきたからこそ、どうしたらいいか、どう歩みを進めたらいいかは感覚的にわかる。鍛えられました。
 
Q:勉強もしない自由な男の子が、なぜ代表取締役にまでなれたのですか?
とにもかくにも遊びながらさまざまな人生経験を重ねた、そんな10代20代を経て、当社の前身企業に出会い就職、
データリカバリー事業部に配属されました。 

上司に言われたのは、とにかくビジネスの勉強をしろ、ということ。本当にうるさく言われました。笑
言うことを聞いて勉強してみたら、マネジメントの面白さに目覚めてしまった。

人、もの、カネ、情報、時間。ありとあらゆるもののマネジメントあってこそ、会社というものが成り立っている。
経営の世界の面白さに開眼し、人生で初めて、猛勉強しました。 

仕事はハードワークで、朝8時から日付が変わる時も。

その中で毎月本を読み、大事なところには赤線を引き、読んだことをレポートにまとめる、そんなことをやっていました。 多い月は50冊を超えました。
とにかく、新しい知識や世界を知ること、学んだことを実践すれば結果が出ることが楽しくて、どんどんハマっていったのがこの頃。

やったらやっただけ結果になる、それがとにかく面白かった。 

データリカバリー事業は順調に業績を上げ見事に成長し、私自身も昇進して専務取締役に。

ところが別部門の赤字が嵩み、会社は16億円の負債を抱えて2014年倒産。
立て直しを頼まれ、100%株を引き取り、民事再生法を適用、私の事業部門だったデータリカバリー事業一本で会社の再起を図りました。
 
Q:16億の負債・・・途方にくれる額ですが、どのようにここから回復されたのでしょうか? 
民事再生となると、資金を貸してくださった方への返済は満額ではなくなる。
その説明から始まりました。 
この時の経験が、本当に勉強になって、今に役立っています。 

人はお金で変わること。 

昨日までヘコヘコしてた人が怒鳴り込んできたり、
総会では怒号が飛んだり。銀行はお金を貸してくれなくなり、かと思えば、今まで付き合いの薄かった銀行さんが、貸してくれたり。

人ってわからないものだな、と。
急に態度が変わる人もいたり、責められたり、いろんな思いをした一方、思いがけない人の温かさ、ありがたさも痛感。

この体験から、人の本質を見抜く力を授かることができたと思っています。

倒産を経験して強く思うようになったのは、キャッシュ(=現金)がとにかく大事だということ。
キャッシュさえあれば、顧客、社員、会社を守ることができる。 
でも、キャッシュがなければ、ピンチが来たら、会社はあっという間に崩れてしまう。

だからこそ、会社再建においては、財務の強い、キャッシュリッチな会社を目指しました。

財務が強ければ、会社も強くなる。
経営は良い時ばかりではありません。伸びる時もあれば、必ず落ちる時もある。
業績が悪くなっても、キャッシュがあれば会社が潰れることはない。
立て直しは財務のテコ入れから始めました。

民事再生による返済計画は5年。
もともと私の事業部門は利益を上げていたので、絶対返すと決意。
再建後に銀行からスムーズに資金調達ができるよう常に自分から銀行に足を運び、こまめに状況説明することを心がけ、実行し続けました。

返済が計画通りに進んでいることを報告し、次期の事業計画を伝え、有言実行を徹底、
返済後の資金融資・確保に向けた信頼関係の構築に努めました。 

民事再生法適用による16億の負債の返済額は1億6千万。
1年で無事完済、その後すぐに銀行とも良好な関係を築くことができ、そこからは資金の不安なく順調に成長を続けています。

また、会社再建に当たって重視したのは、コンプライアンスの強化、ハラスメントの根絶、理念とクレドの浸透。

社員が安心して仕事に取り組めるよう、ハラスメントが 起きることがないよう、社内環境の向上と 強化にはとにかく力を入れました。

倒産以前の当社は、お世辞にも働きやすい会社とは言えなかった。

だからこそ、ここは必ず改善すると、財務強化の次に力を入れてきました。
そのおかげあってか、随分と働きやすい環境になったのではないかと、感じています。

何より、社長である私自身も、明るくなって、よく話すようになった。

大変だったことは、話せばきりがありませんが、やっと、いろんなことが解決して、
「会社らしくなってきた」と落ち着いて言えるようになったのがこの2~3年です。

Q:御社の理念でもある「困っている人を助けたい」と言う思いはいつ生まれたのですか? 
債務の返済も終え、会社がやっと軌道に乗り始めた、そう感じた時に健康診断で引っかかり、
「ご家族を連れてすぐに来てください。院長先生からお話があります。」と病院から連絡が来て。
そこで宣告されたのが「がんで余命3ヶ月」だった。

突然ですよ。あと3ヶ月しか生きられない、と。 

一気に血の気が引いて、そこからはまさかと言う思いと、それなら受け入れるしかないという思いといろんな思いが交差しながら、
がんについて調べる日々。生きた心地がしませんでした。

夜も眠れず、考えるのはいつもがんのこと。 
パソコンの前で、マウスをカチカチ言わせながら来る日も来る日も、がんについて検索しては、
自分はどうなのか、どうしたらいいんだろうかと不安の中ひたすら答えを探すんですよ。

その時にハッと、気付いたんです。

お客様も同じ気持ちだったんだ。と。

それまでの私が、決してお客様を蔑ろにしていたとは思いません。
顧客が大事だと思ってもいました。

とはいえ、事業の成長・成果をわかりやすい数字で達成感を図り、満足していた部分は否めなかった。
若い時にはもっとあからさまに、売り上げあってこそだ、と数字ばかり追っていた時期もあります。

でも余命宣告されて、不安の中答えを探す立場になってみて、やっとわかった。

データを喪失したお客様も、
私と同じ気持ちで「どうしたらいいんだろう」と困っていたんだ。と。


データ損失や流出の話は、普段、そう頻繁に聞くことではないでしょうが、
聞かないからと言ってそれが起きてないわけではないんです。
現在当社にデータ復旧に関する依頼が年間60,000件以上あるという実績が何よりの証拠です。 

「言えない」んです。

データを喪失させてしまった、流出してしまったなんて、言えない。
企業や官公庁であれば、データ流出が及ぼす影響がどれほどのものか。
信頼を失ってしまうことは、顧客を失い売り上げを失うこと、
ひいては組織を失うことにさえ直結します。だから、まず公には言えない。

一方、今世界では心無い大人たちによって、子どもが猥褻な写真を奪われ脅されたり、
事件に巻き込まれる事が知らないところで山ほど起きて大きな社会問題になっています。
何も知らないが故に事件に巻き込まれ、渦中にあっても、まさか親には言えない、大変なことになると1人悩み苦しんでいる子どもがたくさんいる。

データトラブルに直面し、助けてが言えずに困っている人が、この世界にはたくさんいるんです。 

がん宣告された私も、言えなかった。会社の代表が余命宣告されたなんて、不安要素でしかない。
だから当時は家族以外誰にも言えませんでした。 

助けを求める気持ち、助けてが言えずに苦しむ気持ちが、自分ごとになってありありと理解できたんです。

こんな思いをする人は1人でも少ない方がいいに決まってる。
だったら、これからはお客様のこの気持ちを少しでも軽く、なくすために、自分は生きよう。そう思いました。

突然の余命宣告に絶望して、当初は仕事どころではなかった。
でもこの気持ちに気づいてからは

困っている人を、助けたい。
どうせ死ぬんだったら、
お客様のために、困った人を助けるために、
自分に残された命を使い切ろう。
 

そうはっきりとこれからを生きていく意思が固まった。
妻にもこの気づきを伝え、「だから今までと同じように、仕事をしていく」と伝え、
出社してこれまで通りに仕事をすることに専念しました。 

「困っている人を助けるために生きる」私の生きる目的が明確になった大きな節目です。

あの時、世界がひっくり返った。

社長という立場で多くの人と出会い話をしていると売り上げがいくらだった、
業績がトップだった、いい車や豪邸を買ったとか、資産がいくらだとか、
「だから、俺はすごいだろう」そう言ったことを匂わせたり豪語する人もたくさんいます。

 私も以前は、数字に目が行っていたし、数字や売り上げを追ってもいた。
でも、そういうことがこの時にもうどうでも良くなった。

データに関する悩みや問題で困っている人を助けたい、
それができる自分であり続け、会社もそのために経営していく。


この想いをど真ん中に置いて生きていくと決めてから、全てがシンプルになり、
決断に迷うことがなくなりました。 

幸いなことに再検査の結果、腫瘍は悪性ではなく良性だったことが判明、余命3ヶ月は取り消されました。誤診でした。 
誤診をした医師には文句を言ってやると思っていましたが、笑 
この件がなければ今の私はいません。なので、あの時の医師には本当に感謝しています。

Q:「困っている人を助けるために生きる」ここが明確になってから経営はどう変化しましたか? 
私の中では、これからはデータトラブルで困っている人を助ける、という思いは確かなものになりましたが、すぐに社内に伝えることはしませんでした。

誤診ではあったものの、余命宣告を受けたことの精神的な影響も大きく、
心身が回復して、社内の新たな理念とビジョンとして確立していくタイミングを見計らって
1年ほどしてから、社内の改革にかかりました。

それまでは、私自身も「とはいえ売り上げも数字の優先順位が高い」経営スタイルがあったと思うのですが、ここが大きく変化した。

売り上げを無視する、というわけでは決してない。企業である以上、利益は大切です。

ですが、何より最も大切なのは
「データトラブルに困っている人を助けるために私たちは存在し、尽力する」ということ。

 稼ぐために働くのではなく
 困っている人を助けるために尽力した先で、売り上げが立てばそれでいい。

絶対的に顧客ファーストでいく。何より大切なのは、顧客なんだ、ということがこれまでになく明らかになった。 

事業の成長拡大を追ってきた我が社にとっては、大きな方向転換でしたし、 
それまで「ガツガツ働いて稼ぎたい」「数字、売り上げ第一」「売ってなんぼ」だった社員の中には退社するものも出ました。 

でも、それで良かったと思っている。

社内の理念とビジョンが確固たるものに変わったことで、ブレない軸ができた。

決断も、いつでもこの理念とビジョンに従ってすればい いだけなので迷うことは減り、目先の損得ではない、大切なもののためにあらゆるリソースを活かす決断が素早くできるようになって、経営がシンプルかつ強靭なものへと成長しました。

会社として、もちろん浮き沈みはありますし、大きなトラブルや問題だって、常に起こります。
今も目先のトラブルの対応に精一杯。笑

でも、そんな時でも、いつでもこの理念に立ち返り 
「困った人を助けることに繋がることかどうか」を幹部はじめ社員と共に確かめることで
目先の出来事に一喜一憂することは減りましたし、一丸となって進める。 
同じ理念を共有したいメンバーが社員として集まってくるので、どんどん強い組織になっています。

新卒採用では、40人の募集に対し、16,000人のエントリーが来るまでになりましたが、
ここでも大切にしているのは、会社の理念に賛同しているかどうか、そのためにここで働きたいと思っているかどうか。

学歴や実績より、何より、この理念と共に行動できる人材かどうかを採用の軸にしています。
おかげさまで、現在では私たちが大切にしている理念に共感できる非常に優秀な人材が集まり、
技術の向上はもちろん、新たな技術開発も進み、人間関係も良好な組織に育っています。

この思いは、これからも変わることはありません。

データトラブルの復旧解決の一企業として始まったDDSは、 
「世界中のデータトラブルを解決し、困っている人を助ける」という理念のもと事業を拡大、
フォレンジクス事業(犯罪捜査に関する分析や鑑識)、セキュリティ事業も加わり、
データ復旧、バックアップ、故障予知からフォレンジック調査、そしてセキュリティ対策まで多岐にわたるデータのインフラ企業として成長、
8つの事業部門を抱え、 現在では年間約60,000件のデータトラブルを扱う、国内では業界トップになることができました。

データに関するあらゆる問題を解決するサービスを提供します。
データに関するあらゆる問題を解決するサービスを提供します。
「世界中のデータトラブルを解決する。困っている人を助ける」
この理念が確立し、理念と共に私も会社も生きていくと定まってからは、 
売り上げや数字を追っていた時とは比べ物にならない規模で成長することができています。

1ルームほどの小さなスペースから始まった当社は、3年前に六本木ヒルズに移転、現在はフロアの約半分が当社ですが、来年度にはさらにフロアを拡大、サイバーセキュリティ事業をはじめとするセキュリティソリューションを強化、

これからは世界にもその舞台を広げるために、この3年は世界進出に向けた組織の土台作りをしているところです。
 
 Q:世界進出も視野に・・・!これからの世界とDDSを熊谷社長はどう見据えてらっしゃるのですか?
デジタル社会の広まりは、私たちの想像を超える広さで進んでいます。
だからこそ、トラブルもますますと増えていくことは間違いありません。
テクノロジーの進化は凄まじいものがあり、今世界中で起きているデータトラブルは高度化&複雑化しています。

皆さんの知らないところで、日々日本でも、世界中でも、想像を絶するようなデータトラブルが起きているのが現状です。

世界中のデータトラブルを解決することを視野に入れてからは、各国のデジタル情勢の把握に努めていますが、トラブルは増えていく一方、その対応は追いついていません。

業界トップの当社だからこそ、日本をはじめ、世界中のデータトラブルの実情を知ることができ、
その規模の大きさ、深刻さを知れば知るほど、対応が迫られていることをひしひしと感じています。

前身企業から含めて、20年に渡り当社が築き上げてきたデータ復旧に関する技術を世界に持っていくことができればより多くの人たちのデータに関する「困った」を解決することができる。 
私たちの企業の持つ力は、必ず世界で貢献できるものであり、
困った人を助けるため、データ社会のインフラ企業に、
「世界シェアNO.1のデータソリューションカンパニー」になることが当社の次なる目標です。

社員は日本のみならず、中国、台湾、ベトナム、ロシアなど、実に国際色豊かに。これからの世界進出に向けた優秀な人材が自然と集合。
アメリカ・イギリス・シンガポール・ベトナムなど、世界各国への事業展開を計画しており、一年後にこれらの国々で事業所オープンを叶えるため歩みを進めています。

とはいえ、世界進出の目標に対して数字的な売り上げ目標などは、まったく立てていません。笑 
理念に沿った、私たちがありたい、叶えたい未来のイメージを描き、それに沿って実現していくだけ。
企業経営として、賛否両論はありますが、これが私と当社のスタイルです。

Q:そもそも熊谷社長は今に至るまで、どんな道を辿って大人になったのですか?
大企業に勤めるサラリーマンの父と、パートで働く母、ごく普通の家庭で育ちました。 
勉強しろとか、大学に行けとか、両親に何かを言われたことはまったくありません。とにかく自由。

やりたいことをやりたいようにやりたいだけ。そんな環境が当たり前の中で育ったので、
大人になるまで勉強をしたことはありません。笑 

中学と高校は野球中心の生活。
高校の野球部では、本気で取り組むことがどういうことかを、監督が教えてくれました。
やると決めたことをやり抜くまでやる、それを教えてくれたことが、今の私の原点の一つです。

元々は土木関係の仕事に就きたくて就職しましたが、配属は本社の設計担当。
オートキャドのソフトを使って、毎日設計の仕事をしていました。
現場に出て土方をしたかった自分としては、仕事に面白みを感じられず、2年ほど働いて退職。 

そこからはフリーターをしながら、大好きなサーフィン三昧の日々。
日本各地でサーフィンをしたいがためにバイトで売り上げ一位になるくらい稼いでました。
サーフィンのために海外に行ったことも。

英語?もちろん、話せない。でも、なんとかなるし、なった。笑 
身一つで語り尽くせないくらいの体験をしたのが、この時です。 

勉強なんてしなかったからこそ、自分の足で世界を広げ、体験したこと、実践から体で学びました。
だから今でも感覚で生きている部分が大きい。言葉で伝えるよりも、感覚で感じて、イメージが脳内に鮮明に浮かび上がる。
いろんな世界を見てきたからこそ、どうしたらいいか、どう歩みを進めたらいいかは感覚的にわかる。鍛えられました。
 
Q:勉強もしない自由な男の子が、なぜ代表取締役にまでなれたのですか?
とにもかくにも遊びながらさまざまな人生経験を重ねた、そんな10代20代を経て、
当社の前身企業に出会い就職、データリカバリー事業部に配属されました。 

上司に言われたのは、とにかくビジネスの勉強をしろ、ということ。本当にうるさく言われました。笑
言うことを聞いて勉強してみたら、マネジメントの面白さに目覚めてしまった。
人、もの、カネ、情報、時間。ありとあらゆるもののマネジメントあってこそ、会社というものが成り立っている。
経営の世界の面白さに開眼し、人生で初めて、猛勉強しました。 

仕事はハードワークで、朝8時から日付が変わる時も。
その中で毎月本を読み、大事なところには赤線を引き、読んだことをレポートにまとめる、そんなことをやっていました。 多い月は50冊を超えました。
とにかく、新しい知識や世界を知ること、学んだことを実践すれば結果が出ることが楽しくて、どんどんハマっていったのがこの頃。
やったらやっただけ結果になる、それがとにかく面白かった。 

データリカバリー事業は順調に業績を上げ見事に成長し、私自身も昇進して専務取締役に。
ところが別部門の赤字が嵩み、会社は16億円の負債を抱えて2014年倒産。

立て直しを頼まれ、100%株を引き取り、民事再生法を適用、私の事業部門だったデータリカバリー事業一本で
会社の再起を図りました。
 
Q:16億の負債・・・途方にくれる額ですが、どのようにここから回復されたのでしょうか? 
民事再生となると、資金を貸してくださった方への返済は満額ではなくなる。
その説明から始まりました。 
この時の経験が、本当に勉強になって、今に役立っています。 

人はお金で変わること。 
昨日までヘコヘコしてた人が怒鳴り込んできたり、
総会では怒号が飛んだり。銀行はお金を貸してくれなくなり、かと思えば、
今まで付き合いの薄かった銀行さんが、貸してくれたり。
人ってわからないものだな、と。
急に態度が変わる人もいたり、責められたり、いろんな思いをした一方、
思いがけない人の温かさ、ありがたさも痛感。
この体験から、人の本質を見抜く力を授かることができたと思っています。

倒産を経験して強く思うようになったのは、キャッシュ(=現金)がとにかく大事だということ。
キャッシュさえあれば、顧客、社員、会社を守ることができる。 
でも、キャッシュがなければ、ピンチが来たら、会社はあっという間に崩れてしまう。

だからこそ、会社再建においては、財務の強い、キャッシュリッチな会社を目指しました。
財務が強ければ、会社も強くなる。
経営は良い時ばかりではありません。伸びる時もあれば、必ず落ちる時もある。
業績が悪くなっても、キャッシュがあれば会社が潰れることはない。
立て直しは財務のテコ入れから始めました。

民事再生による返済計画は5年。
もともと私の事業部門は利益を上げていたので、絶対返すと決意。
再建後に銀行からスムーズに資金調達ができるよう常に自分から銀行に足を運び、こまめに状況説明することを心がけ、実行し続けました。
返済が計画通りに進んでいることを報告し、次期の事業計画を伝え、有言実行を徹底、
返済後の資金融資・確保に向けた信頼関係の構築に努めました。 

民事再生法適用による16億の負債の返済額は1億6千万。
1年で無事完済、その後すぐに銀行とも良好な関係を築くことができ、そこからは資金の不安なく順調に成長を続けています。

また、会社再建に当たって重視したのは、コンプライアンスの強化、ハラスメントの根絶、理念とクレドの浸透。
社員が安心して仕事に取り組めるよう、ハラスメントが起きることがないよう、社内環境の向上と強化にはとにかく力を入れました。
倒産以前の当社は、お世辞にも働きやすい会社とは言えなかった。

だからこそ、ここは必ず改善すると、財務強化の次に力を入れてきました。
そのおかげあってか、随分と働きやすい環境になったのではないかと、感じています。

何より、社長である私自身も、明るくなって、よく話すようになった。

大変だったことは、話せばきりがありませんが、やっと、いろんなことが解決して、
「会社らしくなってきた」と落ち着いて言えるようになったのがこの2~3年です。

Q:御社の理念でもある「困っている人を助けたい」と言う思いはいつ生まれたのですか? 
債務の返済も終え、会社がやっと軌道に乗り始めた、そう感じた時に健康診断で引っかかり、
「ご家族を連れてすぐに来てください。院長先生からお話があります。」と病院から連絡が来て。
そこで宣告されたのが「がんで余命3ヶ月」だった。

突然ですよ。あと3ヶ月しか生きられない、と。 
一気に血の気が引いて、そこからはまさかと言う思いと、それなら受け入れるしかないという思いといろんな思いが交差しながら、
がんについて調べる日々。生きた心地がしませんでした。

夜も眠れず、考えるのはいつもがんのこと。 
パソコンの前で、マウスをカチカチ言わせながら来る日も来る日も、がんについて検索しては、
自分はどうなのか、どうしたらいいんだろうかと不安の中ひたすら答えを探すんですよ。

その時にハッと、気付いたんです。

お客様も同じ気持ちだったんだ。と。

それまでの私が、決してお客様を蔑ろにしていたとは思いません。
顧客が大事だと思ってもいました。

とはいえ、事業の成長・成果をわかりやすい数字で達成感を図り、満足していた部分は否めなかった。
若い時にはもっとあからさまに、売り上げあってこそだ、と数字ばかり追っていた時期もあります。

でも余命宣告されて、不安の中答えを探す立場になってみて、やっとわかった。

データを喪失したお客様も、
私と同じ気持ちで「どうしたらいいんだろう」と困っていたんだ。と。


データ損失や流出の話は、普段、そう頻繁に聞くことではないでしょうが、
聞かないからと言ってそれが起きてないわけではないんです。
現在当社にデータ復旧に関する依頼が年間60,000件以上あるという実績が何よりの証拠です。 

「言えない」んです。
データを喪失させてしまった、流出してしまったなんて、言えない。
企業や官公庁であれば、データ流出が及ぼす影響がどれほどのものか。
信頼を失ってしまうことは、顧客を失い売り上げを失うこと、
ひいては組織を失うことにさえ直結します。だから、まず公には言えない。

一方、今世界では心無い大人たちによって、子どもが猥褻な写真を奪われ脅されたり、
事件に巻き込まれる事が知らないところで山ほど起きて大きな社会問題になっています。
何も知らないが故に事件に巻き込まれ、渦中にあっても、まさか親には言えない、大変なことになると1人悩み苦しんでいる子どもがたくさんいる。

データトラブルに直面し、助けてが言えずに困っている人が、この世界にはたくさんいるんです。

がん宣告された私も、言えなかった。会社の代表が余命宣告されたなんて、不安要素でしかない。
だから当時は家族以外誰にも言えませんでした。 

助けを求める気持ち、助けてが言えずに苦しむ気持ちが、自分ごとになってありありと理解できたんです。
こんな思いをする人は1人でも少ない方がいいに決まってる。
だったら、これからはお客様のこの気持ちを少しでも軽く、なくすために、自分は生きよう。そう思いました。

突然の余命宣告に絶望して、当初は仕事どころではなかった。
でもこの気持ちに気づいてからは

困っている人を、助けたい。
どうせ死ぬんだったら、
お客様のために、困った人を助けるために、
自分に残された命を使い切ろう。
 

そうはっきりとこれからを生きていく意思が固まった。
妻にもこの気づきを伝え、「だから今までと同じように、仕事をしていく」と伝え、
出社してこれまで通りに仕事をすることに専念しました。 

「困っている人を助けるために生きる」私の生きる目的が明確になった大きな節目です。
あの時、世界がひっくり返った。

社長という立場で多くの人と出会い話をしていると

売り上げがいくらだった、業績がトップだった、いい車や豪邸を買ったとか、資産がいくらだとか、
「だから、俺はすごいだろう」そう言ったことを匂わせたり豪語する人もたくさんいます。

 私も以前は、数字に目が行っていたし、数字や売り上げを追ってもいた。
でも、そういうことがこの時にもうどうでも良くなった。

データに関する悩みや問題で困っている人を助けたい、
それができる自分であり続け、会社もそのために経営していく。


この想いをど真ん中に置いて生きていくと決めてから、全てがシンプルになり、
決断に迷うことがなくなりました。 

幸いなことに再検査の結果、腫瘍は悪性ではなく良性だったことが判明、余命3ヶ月は取り消されました。誤診でした。 
誤診をした医師には文句を言ってやると思っていましたが、笑 
この件がなければ今の私はいません。なので、あの時の医師には本当に感謝しています。

Q:「困っている人を助けるために生きる」ここが明確になってから経営はどう変化しましたか? 
私の中では、これからはデータトラブルで困っている人を助ける、という思いは
確かなものになりましたが、すぐに社内に伝えることはしませんでした。

誤診ではあったものの、余命宣告を受けたことの精神的な影響も大きく、
心身が回復して、社内の新たな理念とビジョンとして確立していくタイミングを見計らって
1年ほどしてから、社内の改革にかかりました。

それまでは、私自身も「とはいえ売り上げも数字の優先順位が高い」経営スタイルがあったと思うのですが、ここが大きく変化した。

売り上げを無視する、というわけでは決してない。企業である以上、利益は大切です。
ですが、何より最も大切なのは
「データトラブルに困っている人を助けるために私たちは存在し、尽力する」ということ。

 稼ぐために働くのではなく
 困っている人を助けるために尽力した先で、売り上げが立てばそれでいい。

絶対的に顧客ファーストでいく。何より大切なのは、顧客なんだ、ということがこれまでになく明らかになった。 

事業の成長拡大を追ってきた我が社にとっては、大きな方向転換でしたし、 
それまで「ガツガツ働いて稼ぎたい」「数字、売り上げ第一」「売ってなんぼ」だった社員の中には退社するものも出ました。 

でも、それで良かったと思っている。

社内の理念とビジョンが確固たるものに変わったことで、ブレない軸ができた。

決断も、いつでもこの理念とビジョンに従ってすればい いだけなので
迷うことは減り、目先の損得ではない、大切なもののためにあらゆるリソースを活かす決断が
素早くできるようになって、経営がシンプルかつ強靭なものへと成長しました。

会社として、もちろん浮き沈みはありますし、大きなトラブルや問題だって、常に起こります。
今も目先のトラブルの対応に精一杯。笑

でも、そんな時でも、いつでもこの理念に立ち返り 
「困った人を助けることに繋がることかどうか」を幹部はじめ社員と共に確かめることで
目先の出来事に一喜一憂することは減りましたし、一丸となって進める。 
同じ理念を共有したいメンバーが社員として集まってくるので、どんどん強い組織になっています。

新卒採用では、40人の募集に対し、16,000人のエントリーが来るまでになりましたが、
ここでも大切にしているのは、会社の理念に賛同しているかどうか、そのためにここで働きたいと思っているかどうか。
学歴や実績より、何より、この理念と共に行動できる人材かどうかを採用の軸にしています。
おかげさまで、現在では私たちが大切にしている理念に共感できる非常に優秀な人材が集まり、
技術の向上はもちろん、新たな技術開発も進み、人間関係も良好な組織に育っています。

この思いは、これからも変わることはありません。

データトラブルの復旧解決の一企業として始まったDDSは、 
「世界中のデータトラブルを解決し、困っている人を助ける」という理念のもと事業を拡大、
フォレンジクス事業(犯罪捜査に関する分析や鑑識)、セキュリティ事業も加わり、
データ復旧、バックアップ、故障予知からフォレンジック調査、そしてセキュリティ対策まで多岐にわたるデータのインフラ企業として成長、
8つの事業部門を抱え、 現在では年間約60,000件のデータトラブルを扱う、国内では業界トップになることができました。

データに関するあらゆる問題を解決するサービスを提供します。
データに関するあらゆる問題を解決するサービスを提供します。
「世界中のデータトラブルを解決する。困っている人を助ける」
この理念が確立し、理念と共に私も会社も生きていくと定まってからは、 
売り上げや数字を追っていた時とは比べ物にならない規模で成長することができています。

1ルームほどの小さなスペースから始まった当社は、3年前に六本木ヒルズに移転、現在はフロアの約半分が当社ですが、来年度にはさらにフロアを拡大、サイバーセキュリティ事業をはじめとするセキュリティソリューションを強化、
これからは世界にもその舞台を広げるために、この3年は世界進出に向けた組織の土台作りをしているところです。
 
 Q:世界進出も視野に・・・!これからの世界とDDSを熊谷社長はどう見据えてらっしゃるのですか?
デジタル社会の広まりは、私たちの想像を超える広さで進んでいます。
だからこそ、トラブルもますますと増えていくことは間違いありません。
テクノロジーの進化は凄まじいものがあり、今世界中で起きているデータトラブルは高度化&複雑化しています。
皆さんの知らないところで、日々日本でも、世界中でも、想像を絶するようなデータトラブルが起きているのが現状です。

世界中のデータトラブルを解決することを視野に入れてからは、各国のデジタル情勢の把握に努めていますが、トラブルは増えていく一方、その対応は追いついていません。

業界トップの当社だからこそ、日本をはじめ、世界中のデータトラブルの実情を知ることができ、
その規模の大きさ、深刻さを知れば知るほど、対応が迫られていることをひしひしと感じています。

前身企業から含めて、20年に渡り当社が築き上げてきたデータ復旧に関する技術を世界に持っていくことができればより多くの人たちのデータに関する「困った」を解決することができる。 
私たちの企業の持つ力は、必ず世界で貢献できるものであり、
困った人を助けるため、データ社会のインフラ企業に、
「世界シェアNO.1のデータソリューションカンパニー」になることが当社の次なる目標です。

社員は日本のみならず、中国、台湾、ベトナム、ロシアなど、実に国際色豊かに。これからの世界進出に向けた優秀な人材が自然と集合。
アメリカ・イギリス・シンガポール・ベトナムなど、世界各国への事業展開を計画しており、一年後にこれらの国々で事業所オープンを叶えるため歩みを進めています。

とはいえ、世界進出の目標に対して数字的な売り上げ目標などは、まったく立てていません。笑 
理念に沿った、私たちがありたい、叶えたい未来のイメージを描き、それに沿って実現していくだけ。
企業経営として、賛否両論はありますが、これが私と当社のスタイルです。